イエメン

料額印面に描かれた地図、今日は地域が大きく変わって西アジアです。上に取り上げたのは、アラビア半島南西部に位置するイエメンの航空書簡で、料額印面に国旗とともに地図が描かれています。 イエメンのうち、北イエメンはトルコから1918年にイマーム王国として独立し、1962年にクーデターによりイエメン=アラブ共和国になります。一方南イエメンはイギリス領から1967年に南イエメン人民共和国として独立し、1970年にイエメン人民民主共和国と改称します。そして、1990年に南北イエメンが統合して現在のイエメン共和国となります。 料額印面の左端には「イエメン人民民主共和国」の表記があり、統一前の南イエメン時代に発行されたことが分かります。すなわち料額印面に描かれた地図も南イエメンだけを描いており、国旗のポールの先端下部が当時の首都アデンの位置を示しています。この南イエメンの北西部に隣接するのが北イエメンで、首都のサヌアは現在の統一イエメンの首都にもなっています。面積的には南イエメンの方が大きく北イエメンの約1.5倍の大きさがあります。 なお、イエメンと言えば「モカ」コーヒーが知られています。16~17世紀にコーヒーの輸出港として繁栄した紅海に面しているモカは、北イエメンにあり付近の内陸山地部にコーヒーの産地があります。19世紀以降モカは土砂の堆積により衰退しますが、「モカ」はイエメン産のブランド名として生き残り、現在は少量の生産のみですがモカ・マタリなどの銘柄名で他の港から輸出されています…

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ケイマン諸島

料額印面に描かれた地図、西インド諸島地域の地図が続いていますが、今日は前回までの小アンティル諸島とはちがって大アンティル諸島の島です。上に取り上げたのは、キューバとジャマイカの間に位置するケイマン諸島の航空書簡で、料額印面には経緯線の入った同諸島の地図が描かれています。 地図の経緯線は北緯19~20度、西経80~81度を示していますが、キューバの南、ジャマイカの北西約320㎞に位置しています。地図をよく見ると、3つの島からなっているのが分かりますが、それぞれ島の名前も記載されています。一番西側に位置するのが最も大きいグランドケイマン島で、面積は200㎢弱と沖縄本島の約6分の1の大きさになります。首都のジョージタウンもこの島の西岸にあります。東側の二つの島がリトルケイマン島とケイマンブラック島です。 ケイマン諸島は1863年に英領ジャマイカの属領となりますが、1962年にジャマイカがイギリスから独立した際もイギリス領にとどまり現在に至っています。観光業の他、多国籍企業や銀行、投資ファンドのペーパーカンパニーが多く、タックスヘイブン地域としても知られています。 書簡の左上部、航空書簡の表示の下には、TO JAMAICA ONLY の記載があり、ジャマイカ宛専用の航空書簡であることが分かります。 ======================== ▶▶地図切手総合サイト【小さな地図の博物館】◀◀ ========================

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アンティグア

料額印面に描かれた地図、今日も前回のトリニダード=トバゴと同じくカリブ海地域、小アンティル諸島の島国の航空書簡です。上に取り上げたのは小アンティル諸島北部のアンティグアの航空書簡で、印面にはエリザベス女王の肖像とともに同島の地図が描かれています。よく見ると、経緯線が示されており、北緯17度、西経61度50分に位置していることが分かります。 アンティグア島は北方にあるバーブーダ島とともにアンティグア=バーブーダとしてイギリスが長らく統治していましたが、1981年に独立し、現在もイギリス連邦に属しています。独立後はアンティグア&バーブーダの国名表記の切手が発行されていますが、それ以前はアンティグア、バーブーダそれぞれの表記で独自の切手が発行されていました。上の航空書簡の料額印面もアンティグアのみの表記で、消印を確認すると1978年になっており、独立前のものであることが分かります。 料額印面の地図をさらによく見ると、同島は複雑な海岸線になっていますが、一辺一辺は直線的に描かれています。実際の海岸線はもっと複雑に入り組んでおり、多くのビーチが観光地になり、消印の地名で首都のセントジョンズも湾奥に立地した港町です。 ======================== ▶▶地図切手総合サイト【小さな地図の博物館】◀◀ ========================

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