マーシャル諸島共和国

オセアニアの国、今日はミクロネシアのマーシャル諸島です。マーシャル諸島は赤道の北、180度の経線の西側に位置し、2つの列島に分かれて30近くの環礁が分布しています。 1885年にドイツの保護領となりますが、第一次大戦後は日本の国連委任統治領、第二次大戦後はアメリカの国連信託統治領となり、アメリカはビキニ環礁、エニウェトク環礁で核実験を繰り返します。1986年、自由連合盟約によりアメリカとの自由連合国として独立し、国防と安全保障はアメリカに委ねています。現在はクエゼリン島が米軍のミサイル実験基地として使われています。 産業の中心は農業、漁業で、ココヤシから採れるコプラやココナッツ油、魚介類などの輸出がありますが、経済的にはアメリカからの財政援助に多くを頼っています。 マーシャル諸島と言えば、現地人が以前利用していたスティックチャートと呼ばれる伝統的な海図が知られています。ヤシの葉柄を使った棒を組み合わせ、小石や貝殻をくくりつけて、環礁の位置やウネリの現象を示す独特の地図で、上の切手にもそのスティックチャートが図案右側に描かれており、これがマーシャル諸島の環礁の位置を示す全体図ということになるのです。 この切手は、1990年にクリスマスをテーマに発行された切手の1種で、印面に描かれたスティックチャートは左側が北になっています。左下が北西に当たりビキニ環礁(ラリック列島の一部)の、右上が南東に当たり首都のあるマジュロ環礁(ラタク列島の一部)の位置をそれぞれ示しています。 …

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フィジー共和国

オセアニアの国、今日はメラネシアのフィジーです。フィジーは南太平洋の180度の経線を挟んで東西両半球に分布する大小300以上の島からなる国ですが、首都スバのあるヴィティレヴ島やヴァヌアレヴ島の主島は180度の経線の西側(東半球)にあります。なお、日付変更線はフィジー全体の東側に設定されています。 1874年以降イギリスの植民地でしたが、1970年に独立を果たします。1998年に国名をフィジー諸島共和国に変更しますが、2011年に再びフィジー共和国に再変更しています。住民構成は特徴的で、メラネシア系フィジー人が6割弱、インド系が4割弱という構成になっています。インド系が多いのは、イギリス植民地時代にサトウキビのプランテーション労働者として、同じイギリス植民地のインドから多くの労働者が移住してきたことが理由です。フィジーは英語、フィジー語とともにヒンディー語も公用語になっており、インド系住民の間ではヒンドゥー教も広く信仰されています。これらは同じくイギリスの植民地であった南米のガイアナと類似した特徴です。 上の切手は、1964年にフィジー~トンガ間航空郵便開始25年を記念して発行されたもので、印面には航空機とともにフィジーの地図が経緯線入りで描かれています。地図をよく見ると、フィジーの首都スバとトンガの首都ヌクアロファの名が記されており、両都市の間を経度180度の経線が通っていることが分かります。すなわち、先に紹介したトンガはフィジーの南東に位置していることになります。なお、この両…

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パラオ共和国

オセアニアの国、今日はミクロネシアのパラオです。パラオは数多くの小さい火山島やサンゴ礁島で形成されるパラオ諸島からなり、フィリピンの南東に位置します。首都のマルキョクはほぼ東経135度にあり、日本の真南にあたります。 人口1.8万人(2021年)の小国で、住民はミクロネシア系が約4分の3と多数派を占めますが、フィリピン人やベトナム人などのアジア系住民も居住しています。19世紀末からドイツ領でしたが、第一次大戦後は日本の国連委任統治領、第二次大戦後はアメリカの国連信託統治領となります。1981年に自治政府が成立、アメリカとの自由連合盟約が憲法改正を経て1993年に承認され、翌1994年、アメリカに国防、安全保障を委ねる自由連合国として独立します。 主な産業は観光業と漁業で、輸出品の多くをマグロ・カツオが占めています。しかし輸出額は少なく、自由連合盟約に基づくアメリカからの財政援助が経済を支えています。 上の切手は、1991年にマリンライフをテーマに発行された小型シートに含まれる切手の1種で、パラオの地図がイルカとともに描かれています。最も大きい島がパラオ全体の面積の70%を占めるバベルダオブ島(バベルトゥアプ島)で、2006年にコロールから遷都された首都のマルキョクがあります。なお、旧首都で日本の委任統治領時代には南洋庁が置かれていたコロールがあるコロール島はバベルダオブ島のすぐ南に位置し、日本・パラオ友好の橋で結ばれています。 パラオの国旗と島名入り地図

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