ソロモン諸島

 今日はパプアニューギニアの東に位置するソロモン諸島です。文字通り多くの島々で構成される島嶼国家ですが,ガダルカナル島の他100以上の島からなっています。  上の切手は1992年にコロンブスのアメリカ到達500年(コロンブス切手展:シカゴ)を記念して発行されたもので,印面中央上部にはコロンブスの肖像と第1回航海のルートマップが描かれていますが,メインの図案はソロモン諸島の地図が描かれたルートマップです。  この2つのルートマップの組み合わせが何とも奇妙ですが,メインの赤い線のルートマップは航路ではなく,同国の国内航空路を示しています。よく見ると,太平洋戦争の激戦地となった主島ガダルカナル島にある首都ホニアラを拠点に他の島々へ航空路が伸びているのがよくわかります。  さらに,昨日紹介したブーゲンビル島との間の狭い海峡に,パプアニューギニアとの国境線も示されています。

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パプアニューギニア(2)

 昨日に続いてパプアニューギニアですが,上の切手は1998年に発行されたクリスマス切手で,昨日の切手の図案の地図とはちがって同国の領土の部分だけを描いた地図が図案になっています。  すなわち,ニューギニア島の東半分だけを描いて,インドネシア領の西半分は完全にカットしています。図案の地図を見ると本当にナイフでカットしたように直線的ですが,この線が東経141度の経線になります。ただ厳密には南部よりのフライ川の流れの部分は,その流れに沿って弱冠カーブします。  いずれにしても,このようにニューギニア島が東西に国が分割されているのは植民地支配が影響しているわけですが,東経141度以西は1898年にオランダ領となり,以東は北部が北東ニューギニアとして1884年以来ドイツ保護領,第1次大戦以降オーストラリアの委任統治領,第2次大戦後は信託統治領となりました。そして南部は1884年にイギリス保護領,1887年にその直轄植民地,そして1906年以降はオーストラリアに合併されパプアと呼ばれますが,結局,北部・南部を合わせて1975年にオーストラリアからパプアニューギニアとして独立することになります。

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パプアニューギニア

 今日はオーストラリア北方の島国パプアニューギニアです。同国も先の2ヶ国同様イギリス連邦の構成国ですが,上の2連刷切手を含む小型シートは1975年の独立を記念して発行されたものです。 同国はニューギニア島の東半分とビスマーク諸島,ブーゲンビル島など1万以上の島々からなります。オセアニアの中ではニュージーランドより広い面積を有し,オーストラリアに次ぐ大きな国になっています。ちなみに世界第二の島であるニューギニア島の西半分は,もともとオランダ領の地域で1969年にインドネシアの帰属となります。  切手図案の地図を見ると,インドネシアから東へ続く同国の領域の島々の位置関係がわかりやすく示されています。主要島で最も東部にあるブーゲンビル島では分離独立運動も起こったこともあり,現在では自治権が認められています。  ニューギニア島のすぐ北を赤道が通っていますが,同島の中央部には東西に険しい山地が走り,4000mを超える高山もあるため,それらの高山地帯は温帯気候になっています。

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